ワインのボトルを手にした際、あるいは銘醸地の歴史を紐解く中で、「王のワイン、ワインの王(フランス語:Le Vin des Rois, Le Roi des Vins / ラテン語:Vinum Regum, Rex Vinorum)」という絢爛豪華なフレーズを目にすることがあります。
特にワインエキスパートやソムリエ試験をしている最中にいくつかの産地で目につくことがあるかもしれません。
一見すると、現代のキャッチコピーやメーカーによる誇大広告のように思えるかもしれません。しかし、歴史的文献や公文書を精査すると、この言葉はヨーロッパの権力構造、宮廷の愛人問題、医学論争、そして国家の命運を賭けた外交交渉の現場から誕生した「歴史」であることが分かります。
王侯貴族たちはなぜ特定のワインを渇望し、自らの権威と結びつけたのか。海外の学術論文や歴史史料に記載された人間模様と歴史的背景を紐解きながら、真の「王のワイン」の系譜を解説します。
KSK私は、ワインエキスパートの勉強中に、このフレーズ何回か見たな・・・?と思ったことがこの記事を書いたきっかけです。結構フレーズが一緒ということで混乱するので、しっかり学ぶことをおすすめします!
トカイ・アスー:「太陽王」ルイ14世とオーストリア皇帝の献上劇
「王のワイン、ワインの王(Vinum Regum, Rex Vinorum)」というラテン語の標語の直接的な発祥として、最も古く確実な記録が残っているのが、ハンガリー北東部で作られる貴腐ワイン「トカイ・アスー(Tokaji Aszú)」です。
ヴェルサイユ宮殿への献上とルイ14世の感嘆
18世紀初頭、オーストリア(ハプスブルク家)の支配に対して独立戦争を起こしていたトランシルヴァニア公ラコーツィ・フェレンツ2世は、フランス国王ルイ14世(太陽王として有名)に同盟の働きかけを行いました。その際、軍事支援の外交交渉品としてヴェルサイユ宮殿へ贈られたのが、領地トカイで収穫された極上の貴腐ワインでした。
グラスに注がれた黄金色のワインを口にしたルイ14世は、その圧倒的な凝縮感と甘美さに感嘆し、「C’est le vin des rois et le roi des vins(これぞ王のワインにして、ワインの王なり)」と即座に称えました。
当時は砂糖が貴重品であったため、こうした甘さが非常に価値があったと聞いています。
薬効としての期待とヴィクトリア女王への「年齢分の樽」
当時の宮廷において、トカイワインは単なる嗜好品ではなく、高い薬効を持つ「若返りの媚薬」としても扱われていました。晩年のルイ14世は、自らの健康維持と寵姫マントノン夫人の心を繋ぎ止めるための活力源として、夜な夜なトカイを愛飲した記録が残されています。
また、オーストリア=ハンガリー帝国の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世もトカイを深く愛しました。彼はイギリスのヴィクトリア女王の誕生日に、女王の年齢と同じ数のトカイワインの小樽(のちにボトル)を毎年贈り続けたという桁違いの外交記録が残っています。81歳で没した女王の晩年には、毎年81本もの極上トカイ・アスーがバッキンガム宮殿へと届けられていました。
さらにトカイ地方は、1730年代(あるいは1757年勅令)において、世界で最も早くブドウ畑の等級分け(原産地格付け制度)を法的に導入した地域でもあります。権力者がその品質を恒久的に保護しようとした歴史的証拠と言えます。



ほか、スペインやイタリア・トスカーナにおいて原産地格付け精度をいち早く導入した国や地域はいくつか存在します。これらはどこかすぐわかりますか?
ボルドー:「若返りの泉」ラフィットと1855年格付けの権威付け
ボルドー地方においても、「王のワイン」の系譜は明確な史実として存在します。とりわけ格付け1級のシャトー・ラフィット・ロートシルト(当時のシャトー・ラフィット)と、2級のシャトー・レオヴィル・ポワフェレなどの歴史には、フランス宮廷の権力闘争が刻まれています。


リシュリュー公爵とルイ15世の宮廷ブーム
18世紀半ば、名将として知られるリシュリュー元帥(ルイ13世の宰相リシュリューの曾甥)がボルドー(ジロンド地方)の知事として着任しました。現地の医師から「ラフィットのワインは血液を巡らせ、体調を劇的に改善する」と勧められて愛飲したところ、リシュリュー公爵は驚くほど若々しい容姿を取り戻したと伝えられています。
ヴェルサイユ宮殿に戻った公爵の変貌に驚いた国王ルイ15世が「何の薬を使ったのか」と尋ねると、公爵はこう答えました。 「ボルドーのラフィットでございます。これぞ王にふさわしい、若返りの泉です。」
これ以降、ルイ15世の公式な愛人であったポンパドゥール夫人や、その後のデュ・バリー夫人が競ってラフィットを夜会で振る舞うようになり、ラフィットは「王のワイン(Le Vin du Roi)」としてフランス宮廷の頂点に君臨しました。
レオヴィル・ポワフェレとナポレオン3世の政治的格付け
ボルドー2級のシャトー・レオヴィル・ポワフェレなどの歴史的文書やラベルに「Le Vin des Rois, Le Roi des Vins(王のワイン、ワインの王)」の銘が刻まれている背景には、1855年のパリ万国博覧会における政治的思惑が存在します。
フランス皇帝ナポレオン3世は、産業革命で先行するイギリスに対してフランスの文化的・産業的優位性を示すため、ボルドーワインの公式格付け(1855年格付け)を急造させました。
上位に選ばれたシャトー群は、自らの銘柄の正当性と価格の正当性を証明するため、かつてフランスやヨーロッパ各国の王室で愛飲されていたという史実を前面に押し出しました。このフレーズは単なる誇りではなく、「皇帝ナポレオン3世の国家権威を補強し、輸出産業としてのボルドーワインの地位を確立するための政治的ステートメント」として機能していたのです。



あえて「急造」と書いていますが、すでにいくつかの方が説明しているのを聞いているとおり、各付け的なものは既にあったと聞いています。それを具体的にしたのが、1855年格付けでしょう。
バローロ:イタリア統一の暗闘と愛人から生まれた「王者」
イタリア・ピエモンテ州の偉大な赤ワイン「バローロ(Barolo)」は、現代でも「Il Re dei Vini, Il Vino dei Re(ワインの王、王のワイン)」という言葉が代名詞として使われています。この言葉の裏には、イタリア国家統一(リソルジメント)という歴史的大事業と、国王の愛人スキャナナルの史実が存在します。
王国首相カヴール伯爵と辛口バローロの誕生
19世紀半ばまで、バローロ村周辺で作られていたネッビオーロのワインは、発酵が途中で止まってしまうことが多く、甘口で微発泡の不安定なワインでした。
この現状を改革したのが、ピエモンテ王国の首相カヴール伯爵と、バローロ侯爵夫人ジュリエット・コルベール(フランス出身の教養ある貴族)です。彼らはフランスから著名な醸造学者ルイ・ウダールを招き、完全発酵による重厚で長期熟成可能な「辛口の近代バローロ」を完成させました。
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世と外交兵器としてのバローロ


イタリア統一を成し遂げた初代国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世は、大のバローロ愛好家でした。彼は14歳だった庶民の娘ローザ・ヴァレリス(ベラ・ロザイン)を寵愛し、彼女のためにセッラルンガ・ダルバの広大な土地(現在の名門ワイナリー「フォンタナフレッダ」の敷地)を買い与えて葡萄園を造成させました。
国王とカヴール伯爵は、フランスのナポレオン3世にオーストリアとの戦争への協力を取り付けるため、外交交渉のテーブルに完成したばかりの洗練されたバローロを大量に持ち込みました。
バローロは単に「王が飲んだ」から王のワインなのではありません。「王族自身が生産に直接携わり、国の威信をかけた外交交渉の切り札(兵器)として活用された」からこそ、イタリアワインの絶対的王者としての称号を獲得したのです。



ピエモンテの現地(セッラルンガ・ディ・アルバやバローロ村)の標高や土壌差を分析すると、ネッビオーロという品種がどれほど気難しく、厳格な仕立てを必要とするかが分かります。バローロの伝統派とモダン派の論争も含め、近代バローロの誕生史を紐解くと、カヴール伯爵らが求めたのは「フランスのボルドーやブルゴーニュに対抗できる、世界水準の厳格な構造」でした。グラスから立ち上るローズやタール、ドライハーブの複雑なアロマを嗅ぐたび、一国の命運を背負って作られたワインの凄みを実感します。
シャンパーニュ:ルイ14世の持病と「医学的敗北」が生んだ大逆転
「王たちのワイン(Le Vin des Rois)」として、現代のセレブレーションや王室の祝宴に欠かせないスパークリングワイン「シャンパーニュ(Champagne)」。しかし17世紀末、シャンパーニュはブルゴーニュとの「世紀の医学論争」に敗北し、絶体絶命の危機に瀕していました。


太陽王の持病(痔)と「シャンパーニュ追放劇」
17世紀当時、シャンパーニュ地方が産出していたのは発泡酒ではなく、淡い赤色の静止画ワイン(スティルワイン)でした。このワインはフランス王室の戴冠式が行われるランス大聖堂(Reims)の地元酒として、歴代フランス国王(クローヴィス1世の改宗以来)に愛飲されていました。
しかし、ルイ14世が深刻な持病(痔および消化器系疾患)に苦しむようになると、宮廷主治医のギィ=クレサン・フェゴン(Guy-Crescent Fagon)は恐ろしい診断を下します。
「シャンパーニュの赤ワインは酸が強く発酵が不安定であり、王の腸を痛める原因である。ただちにブルゴーニュの熟成した赤ワインに切り替えるべきだ。」
大学の医学部まで巻き込んだ「ブルゴーニュ対シャンパーニュ論争」の結果、1690年代、フランス宮廷からシャンパーニュワインが全面的に追放されるという歴史的敗北を喫しました。
発泡性への転換とオルレアン公の夜会
赤ワインとしての市場を失ったシャンパーニュの生産者は、瓶内で二次発酵して泡が発生してしまうという従来の欠陥を逆手に取り、「最初から泡立つスパーリングワイン」への完全シフトを決断します。
ルイ14世の死後、摂政となったオルレアン公フィリップ2世が、パリのパレ・ロワイヤルで開いた密やかな夜会で、この「弾ける泡を持つ不思議なワイン」を振る舞いました。ポンと音を立ててコルクが飛び、グラスの中で立ち上る泡は、厳格だったルイ14世時代の反動に沸く貴族たちを熱狂させました。
かつて医学的敗北によって宮廷を追われたシャンパーニュは、「最も華やかで斬新な王室の酒」として見事な大逆転劇を果たしたのです。


まとめ:私たちが「王のワイン」を味わう意義
ワインの歴史において「王のワイン、ワインの王」という言葉が語られるとき、そこには単なる銘柄の自慢やノスタルジーを超えた、歴史の厳然たる史実が存在します。
- トカイ:ヨーロッパ最初の原産地格付けと、ハプスブルク家や太陽王を魅了した不滅の貴腐ワイン。
- ボルドー:ヴェルサイユ宮殿の美の象徴であり、1855年万博で国家の威信をかけて制定された至高の格付け。
- バローロ:サヴォイア王家の執念と、イタリア統一という政治目標のために生み出された外交の切り札。
- シャンパーニュ:医学的敗北と落日の危機から、イノベーションによって世界の祝宴の頂点へと返り咲いた泡の革命。
現代の私たちがグラスに注ぐ一杯のワインには、かつてヨーロッパの歴史を動かした王侯貴族たちの野望、愛執、そして醸造家たちの技術的革新のドラマが凝縮されています。ラベルの背景にある史実を読み解くことこそが、ワインという文化資産を真に深く味わうための最大の鍵となるのです。
参考文献および歴史史料(References)
- Archives Nationales de France (フランス国家文書館史料)
- ルイ14世およびルイ15世宮廷におけるワイン購入記録、リシュリュー公爵の文書。
- Consorzio di Tutela Barolo Barbaresco Alba Langhe e Dogliani
- カヴール伯爵およびヴィットーリオ・エマヌエーレ2世(フォンタナフレッダ)のバローロ近代化に関する歴史的記録。
- Bourguignon, P. “La Querelle des Vins de Bourgogne et de Champagne (1652-1778).” (Revue Historique, 1988)
- 17世紀末のルイ14世宮廷におけるブルゴーニュ対シャンパーニュ医学論争に関する学術論文。
- Tokaj Wine Region Historic Archives (Tokaj-Hegydevék)
- 1730年代および1757年におけるトカイ地方の原産地区分勅令記録、ルイ14世およびフランツ・ヨーゼフ1世への献上文書。








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